作り手の魂、心、そして愛を込める意味(Osaka Metroの合成音声を聞いて)

 

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私は以前、谷町線の合成音声の問題点について細かく説明しましたが、あれから2ヶ月ほどが経ち、なんとニュートラムの放送にも同じ合成音声が採用されることになってしまいました。

osaka-subway.com

理由も「緊急事態に対応させるため」であると公式から回答が聞けて、多少はマシになったかと思いきや、放送同士の間は改善されているとは言い難く、結果的に御堂筋線の放送に対する不安がさらに加速する事態となっています。

 

ここからする話は、今までも何度か話してることですが、私は決して「合成音声そのものが嫌いだから」今のOsaka metroの更新が気に食わないわけではありません。

 

合成音声自体は、阪神電車名城線山陽電鉄でも駅放送として採用しており、そちらは個人的にも高めに評価しています。

 

では何故、私がOsaka metroの合成音声を否定しているのかをより具体的に話していきます。

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谷町線の合成音声の問題点を含めて、嫌いな理由を簡単に言うと

 

「使う人の気持ちになって考えられていないから」

「作り手の愛がないから」

 

この2つです。

 

根本的に、谷町線の合成音声は早口でイントネーションが合っておらず、ある意味芸術的とも言えますが、いくら芸術的であろうと、利用者に何が言いたいのかしっかり伝えようとしなければ完全に伝えることはできません。

これは、利用者を目的地へ案内することを目的としている放送としては絶対に避けるべきことです。

 

Osaka metroは1番大事とも言える案内の分かりやすさに手を抜いた結果、この批判の嵐が起きまくったといっても過言ではないでしょう。


www.youtube.com

どうすれば案内が分かりやすくできるかは、やたてつさんの動画で丁寧に解説されており、発音の調教、適度な文節の間を改善するだけで合成音声でもかなり聞き取りやすくできることが証明されています。

 

ただし、その動画が投稿され、谷町線での放送を聞いた利用者の意見を聞いた後に更新されたニュートラムの放送のクオリティの低さが相変わらずですからね。これははっきりと「使い手の気持ちになって考えられていない」と断言すべきでしょう。

 

芸術性の高さと使いやすさ、分かりやすさは明確に区別すべきです。いくら雑な発音が面白くても分かりにくければ何の意味もありません。特に「駅放送」といった利用客に伝えるべきものは理解しやすければしやすいほどその愛は理解され、価値が高まるものです。

 

そもそも他の案内板を介さなければ完全な理解できない、といった説明に説明を加えなければならない状況が作られるのは放送としては100%欠陥と言って然るべきでしょう。

 

それに比べて、梅野/有田ペアの旧放送は、文節の間、イントネーションのどれもが違和感なく、聞き取りやすい放送であることが分かります。

 

合成音声じゃないんだから当たり前じゃんと思っている人もいるかもしれませんが、これは声優自身の心と魂が込められているからこその結果なんです。

 

裏では何度も放送を作る上で発音を噛んだりしているかもしれませんし、そういう失敗の積み重ねがあったからこそ、完成した放送の愛が反映され、利用者はそれを高く評価するのです。

 

207hd.com

これは何も放送だけに限った話ではありません。車両を作る上でも設計や整備などに失敗と成功を重ね、試行錯誤の末に高い完成度を誇る「名車」が生まれていくわけです。

 

鉄道プレスのこの記事でも、それが一つ一つ丁寧に説明されています。

 

だからこそ、職人として当たり前であり、最も必要なことは「使う人の気持ちになって考えること」になるんですよね。

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そして、「作り手の愛」についても深く語っていきますが、ものは常に心を込めて作るべきです。

 

旧放送の梅野真由美さんや有田洋之さんの肉声と違って、合成音声そのものに心は込もっていません。当然、中身はただの機械に過ぎないのですから。

 

つまり、合成音声で作る案内を分かりやすく工夫し高く評価されるためには、作り手の魂を入れることが最も重要になってくるのです。

 

心を込められて作られなければ、作り手の魂は入らない。

作り手の魂が入らなければ、誰からも愛されない。

誰からも愛されなければ長く使ってもらえない。

 

長く使ってもらえなければ、それは合成音声の良さそのものを完全否定するのと同義です。

 

合成音声は、声の著しい劣化が起きず、長く使えるからという経済的にはかなり合理的なことから、先述の阪神電車名城線山陽電鉄のように採用されている鉄道会社は増加傾向にあります。

 

合成放送はまだまだ未完成な部分が多く、多少は不自然な発音になってしまうことは仕方ないことです。だからこそ、合成音声は作り手の繊細な技術が高く要求されるわけです。

 

ただ作って完成でいいってわけではありません。それを聞くことになる相手のことをきちんと意識して作らなければ、高く評価されることは決してありません。酷いイントネーションだと、発音が酷すぎると、やる気あるのかと非難されるわけです。

 

それは合成音声でも肉声でも共通して当てはまることです。使う相手の気持ちを大切にする心、魂、愛があれば、自然と分かりやすく、誰からも受け入れられる放送になるのです。

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以上が、谷町線などの合成音声に関する意見と、ものを作る上で大事だと考えている私自身の持論です。

 

今日まで合成音声を自然に聞き取りやすくするための解説動画や谷町線の合成音声に対する様々な意見を多く拝見し、参考にさせていただきましたが、最終的に言えることは結局、作る人がどう利用者に向き合っているかに尽きるんです。

 

失敗は誰にでもあります。大事なのは、その失敗に向き合い、使い手の心に寄り添うことです。

 

改めて、Osaka Metroさんは、利用者の声を聞き、ものを作る上で大事な作り手の心と魂を注ぎ放送を再構成していくべきではないでしょうか。

 

御堂筋線では、きちんと利用者の意見が反映された我々の理想の放送になっていることを心から願っています。